着物はエコのお手本
様々な分野でエコロジーが盛んに言われている時代です。消費文明の中で何でも使い捨てにされて次から次へと新しい物に目が移り高度成長の波にも乗り品物が溢れていた時代がここのところ何十年かありましたが、最近では広くどの分野でも「リサイクル」そして「もったない」精神が叫ばれて、地球的規模で見直す風潮となってきました。
着物の世界でもアンティークブームが起きて昔の着物を古着屋とは言わず、着物のリサイクルショップとかアンテーク着物として主に若い人々から支持されて需要がある時代にもなって来ました。いつの頃から「大正ロマン」という言葉も流行り、若い人たちがファッションとして着物を捉えて本当の大正時代の着物とは似て非なる不思議な装いが見られたこともありました。
しかし古い着物をそのまま着るというのもいろいろな問題が生じて難しいことも事実であります。
寸法がぴったりと現代の人に合うことはまずなくて、着物の生地そのものの劣化と呼んでいいか、解くのもためらうようなもの、柄は昔のものでとても素敵でも仕立て直せば色が焼けていたり褪めていたりと、頭を悩ますものもしばしばあり、百枚の着物があれば百枚のストーリーを持つというのが現実です。
私の工房でも新作を創る傍ら、昔の職人さんが染めたり、織ったりした着物を蘇らせる努力をしている「今昔の会」という月間を毎年6月に設けてお客様と相談しながら取り組んでいます。
今回のレクチャーでは、Mさんがお持ちになったある着物を通してご自分の着物として着られるようになるまでの再生のストーリーをお話したいと思いますのでご参考にしてください。
最初に
はじめにMさんが工房に訪れて、洗い張りが終えて反物の状態になっている2反の大島紬を私に見せてくださいました。
お母様のお形見とのことでしたが、すでに胴裏はなく、その大島のどちらかについていたであろう裾回しもひどく色が焼けていたのですが洗い張りしてありました。
どの位の時を経てきたのでしょうか。ゆうに半世紀は超えていたのではないでしょうか。泥大島のような感じでかなり着た形跡があり傷んでいるところも見られて、もしかしたら1回目の洗い張りではなく何度目かだったのかもしれません。
いずれにしても洗い張りした形で残されているということは再度お仕立てをし直したからこそ、そのような形でMさんの手元にあったのでしょう。
「なんとかなりますか?」というMさんの問いに私は「少し考えさせてください」と申し上げたのでした。その時は6月でしたから秋までにはなんとか形にしたいと約束しました。
古い着物と向き合う
時間を頂いて2反の古い大島と向かい合いましたが、きっと昔の物だからまず丈が足りないのでMさんの着丈にはどちらも成り得ないと思いました。
あとからMさんがご自分の寸法を知らせて下さり、案の定、全く丈がないことがわかりましたから、幸いこれはよく似た雰囲気の色と柄である2反の物をミックスして一枚の着物を創るしかないと考えました。
裾回しは色焼けがひどいものの生地そのものは案外しっかりしていて、なんとか再生できると良いと考えました。昔の生地は触って少しひっぱるだけでも紙を裂くようにぴりぴりと切れることもあるのです。
表の色に合わせて濃い焦げ茶色に染められれば、うまく色が染まってくれたら、成功するかもしれない…と挑戦することにしました。
うまく行けば新しい裏地を購入しないで済むので経済的です。裾回しは私が染めるとして、まずここからは仕立て屋さんと相談です。
どのように一枚の着物を縫って完成させるかです。仕立て屋さんに寸法を見積もってもらい考えを聞くのを待つことにしました。
余談になりますが、昔の着物をみていますと生地が私に語りかけてくるような気がして参ります。この着物を着ていた方のことは存じ上げないのは当たり前なのですが、この着物を着ていた方とこの着物との間にはどんなストーリーが存在していたのだろうと、もの言わぬ昔の残された着物から何か感じ取ろうと私は想像するのです。
昔の女性ほど着物には命が、そして暮らしが滲み込んでいるのです。染め物の場合は創った職人さんがどんな人だったのだろう、どういう想いでこの柄をつけたのだろうと同じ仕事をする人間として考えずにはいられません。
ですから捨てられたり忘れられたりする、もの言わぬ着物たちがとても気になるので、持ち込まれる古い着物があると、なんとか蘇らせて再び役に立てるようにと頑張ってしまうのです。ほとんどが絹なので絹をつくってくれた蚕さんたちのためにもと勝手に想いを強く持ってしまうのです。
アイデアいろいろ
さて、仕立て屋さんと相談が始まりました。やはり私の思った通りで、あちこち傷みが激しいところがあるので、良い部分だけを切り取りはぎ合わせるように一枚の着物にするしかないとのことです。よく似ている生地同志ですがどちらを生かしましょうかということに成りましたが傷みの少ない方を主にしたらどうかということにしました。
どういうふうに切りばめるか何通りかの案が出ました。ちょうどパッチワークのようにあちこちに切りばめるか、それとも袖の下部とか裾の部分だけに切りばめるかと図を書いて、どのように接ぎ合わせたら良いか相談し合いながら、袖の裾と着物の裾部分に集中させてみるのが落ち着くという方向に決まりました。ここからは仕立て屋さんの腕です。秋まで出来てくるのを待つことにしました。
この作業は誰でも快くやってくれるという訳ではありません。なぜなら手間暇を考えると新しい着物を作った方が、ずっとずっと楽な上この手間で何枚の着物が仕立てられることでしょう。仕立て代の工賃のみで働いている職人さんはおそらく面倒がる仕事でしょうから引き受けないかもしれません。
私と同じように着物をこよなく愛してくれる仕立て屋さんがいたからこそ可能なのです。私一人の頑張りではできません。着物に携わる多くの人たちの協力が必要です。段々と腕のいい職人さんがいなくなっていっているのも現実です。
気になっていた裾回しは見事に染まりました。これはラッキーなことでした。
完成
何人も仕立て屋さんを抱えていますが、この手の仕事とコートを縫わせたら一番の人です。
すそ回しもかなり焼けていたのですが生地が切れていなかったのでなんとか染め直して利用できました。よく見ると訪問着のような配置で二つの柄が調和しています。やはり仕立て屋さんの努力が最高でした。
その後、早速にMさんに送りましたらとても喜んで頂き私もほっとしたのです。
古い物の再生は心配とリスクはとても大きいのですが蘇ってまた次の時代に着てもらえることになるというのが何より嬉しいことです。
着物こそ究極のエコではないでしょうか。もったいない精神で古い物も大事にして次の世代につなげて行ってください。私や職人さんのようにまだお手伝いできる人がいるうちに…。