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それではアルバムを開いてみる事にしましょう。ムカシアルバムは装丁も魅力のひとつです。手に取れば一瞬でその時代に惹き込まれてしまいます。大きさや色、材質も様々、持ち主の想いが溢れ出てくるようです。
子供たちのまなざし
明治、大正、昭和初期を生きた子供たち、スナップ写真を写されることは少なかったようです。カメラを向けられて少し緊張気味の子供のまなざし。着物姿の中、当時は珍しかった直輸入の洋服姿も交じっています。
お庭にて
一軒家が多かった時代には何処の家にもお庭がありました。縁側、庭石、灯籠。子供が遊んだり犬を飼ったり庭にもいろいろな役割がありました。写真屋さんを呼んで、家族勢揃いで記念写真を撮る日もありました。
だって…女学生ですもの。
花も恥じらうという言葉がピッタリ。10代のころの女子はお友達と賑やかに、最も楽しく華やかな時代を過ごしていたことでしょう。ほとんどが女学校と呼ばれる学校に通っていました。お下げ髪でセーラー服もあります。
おもひでの浪漫旅行
旅行も容易には行けない時代ですが、電車であちこち旅行に出かけ湯治も今のように人気があった様です。当時では珍しいドライブの様子も記録されてます。旅行に行けた人たちは物見遊山ということで比較的恵まれていた人たちでしょう。
懐かしの殿方、ハイカラさん
明治、大正、昭和初期の男の装いは和洋折衷、着物と服をうまく組み合わせてコーディネートしてます。現代でも参考になる魅力的な装いもありますね。年代と職種がよくわかります。シルクハットやトンビ姿にも注目。
バックシャンでご免あそばせ。
後ろ姿の素敵な様子をバックシャンと言ったそうです。この言葉には、後ろ姿だけが美人で期待したほど顔は良くないといった意味もあったとか。後ろ姿のスナップ写真は当時では珍しいショットです。装いがよく分かります。
出征なれど、銃後の守り
戦争も何度もありました。軍服、国民服、そして銃後の守りについた女性たち、割烹着でもんぺ姿で贅沢は出来ません。辛い時代の格好です。前線に出る男たちの留守を必死に守っていた様子が着ている姿にもあらわれています。
赤チャンと七五三
お宮参りに七五三、子供が生まれると記念に写真館で撮りました。ベビー服もやっぱり着物です。手持ちカメラがまだ普及されておらずスナップ写真は少ないですが、たまに若い両親たちの姿も一緒に写し出されています。
復興の時代
戦後は凄まじい勢いで日本は復興しました。和も洋も新しい文化も積極的に取り込んで復興への庶民のエネルギーが溢れていました。現代日本の礎がこの時代にあった様です。目覚ましい復興は高度経済成長へと繋がりました。
家族の肖像
家族で今よりもマメに記念写真を撮っていました。姉妹、兄弟、親子、全員で。嬉しいこと、悲しい別れの時でさえ写真館に出向いての記念写真です。何処の家にも少なからず残されていて家族の歴史が垣間見れます。
けふはお出かけでございます。
お出かけ日和。一家で動物園や遊園地、百貨店へ行きました。テレビのない時代ですから、お出かけというのは楽しい響きがあり子供たちは大喜びでした。。大人は芝居や映画、銀ブラなんて言葉もこの頃でしょう。
ヘアスタイルでモダンガール
日本髪から洋髪へ,モガ、モボと呼ばれた若い人たち、着物と洋服が入り交じって髪型も様々、洋髪も今見れば大変な技術だそうです。電気パーマとも言ってました。女性はいつの時代にもヘアスタイルに敏感です。
麗しき乙女たち、花嫁修業
女学校を卒業すれば花嫁修業です。18歳〜20代前半くらいまで、お茶、お花、長唄、お裁縫とお嫁に行くまでの青春時代。お嬢さんらしい最も華やかな着物姿で色とりどり。当時のアンティーク着物をぜひ参考にしてみて下さい。
ショールとコート姿のご婦人
温暖化の影響が今より少なく寒かった時代。羽織を着てその上からコートという装いは防寒の要素もありました。雨ゴートも含め衿の形が今より種類が豊富です。ショールはビロードや刺繍の入った奇麗なものも多くあります。
羽織を羽織りませう。
羽織は今よりも日常的に羽織る必須の衣装でした。若い人の羽織の柄は大きく華やかで大胆。そして丈についてみれば今よりずっと長くて優雅です。羽織丈の長さには時代のノスタルジーを感じさせます。おおらかで平和だった頃です。
お行儀良く並びましたワ。
集合写真はお行儀良くハイ、チーズと言ったかどうか。昔は何て言ったのでしょうか。子供たちも大人もいろいろな服装で神妙に並んでいます。カメラに対しては今よりずっと表情が硬いですね。集合写真も色々なシチエーションがあって興味深いです。