90年以上前の絽の丸帯
2枚の古い大島紬を使って1枚に再生
「今昔の会」とは、簡単に言えば、昔を今にと着物を活かしていく相談会のことです。祖母や母の着物、帯が、長いことタンスに眠っていたとします。誰かがそれに興味を持たない限り、ずっと眠り続けているのです。
着物はそれぞれ色々な思いが込められています。久しぶりに取り出せばその着物を着た時のシーンまでがよみがえります。着物は出番がなくなると忘れられてしまうので、とても、もったいない気がします。
着物は染物も織物も手作りの物がほとんどです。もちろん、長い間には色あせたり、生地が弱くなったりしているものもあります。
でも見事に再生できる素材もタンスに埋もれているのです。着物に興味を持ち始めた方にとっては、宝物のような着物も見つかるのです。
私はそういう着物や帯を発見すると思わず、手をかけて蘇らせてみたくなる想いにかられます。その着物に縁のある方に是非もう一度袖を通してもらいたい と切に思うのです。古典模様の織り柄などは今にはない色調で、格調高く捨てがたいものばかりです。現在ではすでに作ることが出来ないものも沢山あります。
昭和30年代、40年代までは、街には紺屋さんというお店が多く存在していました。着物の染め直し、洗い張り、手入れなどを専門にしているところがあったのです。
着物を着る方は日常的に紺屋さんを利用していました。着物を手入れしつつ、時には新しい着物を新調したりもしていました。
しかし、着物はだんだんと着る方が少なくなり、フォーマルな時にしか着用しない方が増えてくると、紺屋さんも次第に少なくなり、今では探すのもむずかしくなりました。
そして着なくなった着物はどんどん取り残され、いわゆるタンスの肥やしなどと呼ばれるようになってしまいました。
着物は先人の知恵で、とても便利に出来ています。ほどけば、直線裁ちですから、つないで一枚の長い布(反物)になります。
私の目指している「今昔の会」では"着物はまた着物に"という考えですから、それらを洋服にリメイクするということはしていません。あくまでも、和の形に戻し再生すことを考えています。
例えば、写真を御覧下さい。昭和11年頃の着物をお祖母様からお孫さんへお直ししたものです。今では見かけない薄いジョーゼット風の着物を洗い張りや丹念な染み抜きで再現します。色も昔のまま再現され、やや長めの袖がレトロで優美な雰囲気です。
色々な工夫をしていくことは、新しいものを作るより大変なことが多いのですが、再び着られるものによみがえった時の喜びは格別です。着る方のライフスタイルに合わせて、また着物として活用出来るようにするのが願いです。
この場合は、こんなふうによみがえらせることが可能です。立派な丸帯、今とは締め方が違っていたために柄が逆になったりもしています。
幅はあっても丈は短いのでまずきれいに洗い、縦2枚に分けて地のしをします。現在の丈の袋帯の裏地を張り、表地の丈は片方から少し足して裏地と同じ長さにします。
さらに残った帯地はなごや帯分の表地となり、かえり分だけ足し布をすれば、丸帯1本から立派に袋帯と名古屋帯2本が完成します。
寸法不足の着物を訪問着にも合わせられる長めの道中着にします。この道中着では、道行衿ではつれてしまって出来なかった変わり結びの大きめな帯も、楽しむことができます。
タンスに眠る無地や小紋の羽織、昔流行った絞りの羽織は道行コートに仕立てれば役に立ち、紬や小紋にと着る出番も多く、暖かみのある着物姿になります。
地風がしっかりしている紬の着物を防水加工して雨コートにします。道中着仕立てにすればいわゆる雨コートにはない地風で防寒コートのようにも装えておしゃれです。
私は長い事、新作ばかりを制作して参りましたが、次の世代の人々が古い着物を見つけ、それらの扱い方に困り、相談されることが多くなるにつれ、私の経験を生かし着物たちに恩返しが出来ればと思い、忘れられそうな着物たちに、ぜひまた現代の風を当てたいと思うようになったのです。
そんな想いから、「今昔の会」を開き、相談にのれるような機会を設けるようにしています。 でもこれは私一人の力では成り立ちません。多くの経験を積んだ、職人さんの力と技術が必要です。専門技術を持っている人たちがいるかぎり、古い着物を色々 な形にプロデュースしていくつもりです。
基本的に「今昔の会」は毎年6月に催しておりますが、古い着物の件で相談したいことがありましたら、いつでもご連絡ください。お力になれれば嬉しく思います。